目的と手段をはき違えてはいけない

こんにちは。右田です。

畑の事を発信するより、それ以外の事を発信した方がなぜかよく読まれているようなので、笑

今日は畑とは直接関係ないことを書いてみます。

右田が農業を始めてはや12年。

本格的に経営を始めて10年になります。

それ以前は音響のお仕事をさせていただいていたこと、

メディアでも取り上げた事もあって、もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

実は私は15歳の時にギターと出会い、ずっと音楽が好きで、

音楽の仕事に就くことを夢見ていました。

海外にまで飛び出した時にはある種の洗礼を受け、

今思えば、ある意味相当濃い社会勉強をして、

帰国後、やはり音楽で食べていくための道を突き進みます。

愚直。

そう言ってしまえるくらい、当時はシンプルな考えを持っていました。

考える前にまず行動。

猪突猛進です。

ただ、その頃にはある程度、自分の気持ちというものに、どこかで気付いていて、

その気持ちを確かめる為に行動していた。

といってもあながち、間違いではなく

いえ実際そんなところだったんだと、思います。

それから数年後、

ある日を境に、全くといっていいほど、音楽への興味を失ってしまいます。

それはあることに気づいてしまったからです。

そのあることとは、私にとって音楽というものは、

目的ではなく、手段だったことにです。

こんなエピソードがあります。

20歳の頃に一緒にバンドをやっていたドラマーが、高校時代は、

寝ても覚めても、ドラムの事で頭がいっぱいだったと言っていました。

頭の中で楽器が鳴っているんだと。

当時、私にはそのイメージがよく伝わりました。

弾いた一本の弦が頭の中で、複合的に振動していて、そしてその一本の鉄線と体が同化しているような

たぶん楽器を触る方には、とてもよく分かる感覚です。

そもそもはここに目的を定めていたつもりでした。

でも実際は違っていたようなんです。

やはり目的ではなく、手段でした。

それに気づくのは何年も何年も後のこと。

それが冒頭に書いた、興味を失ってしまった日のことです。

もしもそのまま、自分を騙しながら進んでいれば、

きっと偽りの人生を歩んでいたことと思います。

そしてここからは音を生業とする音楽家にはなれなかった、私の定義です。

音楽は人生をよりドラマティックに彩るもので。

それはお祝いなどに使っていただく、ぶさいくワインと同じ役割。

けっして主役ではなく。

主役は楽しんでいただく、お祝いの対象である方々であり、お祝いそのものであり、

私の進みたい生きかたのこと。

ですから、もう寄り道をしている暇なんてなく、

願わくば、目的を達成した時に、

その瞬間を大好きな音楽が彩ってくれていたら、

嬉しいなと思っています。

それが私にとっての音楽であり、

長年、真面目に取り組んだからこそ見つけた、

ひとつの答えだったんです。

【これ書いてる時にふと思い出した曲】
Palmas Rock / Dragon Ash

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